二人とつるむようになったのは、高校に入学したばかりの頃からだった。
島の南にある中学校を卒業した僕と、北にある中学を卒業した二人。同じクラスになった僕の前後に彼らが座り、休み時間や放課後、他愛ない話を絶え間なくしていた彼らの輪の中に、いつの間にか僕も引きずり込まれた。そんな、月並みといえば月並みな、本当に、些細なきっかけだったのだ。
そして、この島の人間で、同じ高校に進学したという事実もまた、二人が僕に親近感を抱かせるもうひとつの要因でもあった。
例えば兄のように、その先の進学を考えている島の子供達は、本土の進学校へ通う。そして僕のように無計画で、将来に何の危機感も抱けないような楽観的な子供らが、島の高校へ進む。これは、目に見えない、声には聞こえない、おぼろげで曖昧な大人たちの期待や圧力を感じられる者と、そうでない者とが振り分けられる、この島独特の儀式のようなものだった。だから、同じ島の高校へ進学した啓太と拓郎も、根っこのところでは僕と同種だと思っていた。
大雑把で、豪快で、不器用な啓太と、大人ぶった素振りで斜に構える拓郎。最初はこれでよく一緒にいれるものだと思うくらい、異なる性分を二人は持ち合わせていた。しばらくして、違うからこそ上手くかみ合う人間関係というものがあると、その後も非常に役に立つ教訓を、僕はこの二人から学ばされた気がする。
「だから南中出身は・・・」
その頃僕は二人によく、声をそろえてそう言われた。
啓太と拓郎の『ノリ』に僕が付いていけないと、必ず。
僕の家のある島の南側は、彼らの住む北側とは違って、果物を栽培する農家や、養殖に携わる漁師が多く住む地域で、そこに住む人々には、地味で穏やかな風潮があった。その風潮は子供達にも例外なく引き継がれ、観光地向けに栄えた北側の連中のような垢抜けた感じが、僕ら南部の出身者には無かった。それを、二人によくからかわれた。
からかわれたといっても、決して悪意は無く、だから、よく都心であるような子供どうしのいがみ合いなんてものも、存在しなかった。北と南で慣習や性分に違いがあっても、やはりどちらも田舎の孤島の人々なのだ。ぎすぎすとした歪みが入り込めるような雰囲気は、皆無だった。
人の出入りの多い北側に住む啓太と拓郎は、いい意味でも悪い意味でも外向的だった。
夏、若い観光客がどっと押し寄せると、二人は決まって船着場へ出張って、島を訪れたばかりの女の子だけのグループを探し出し、しきりに声をかけた。そういうことに慣れていない僕が気後れすると、またいつもの台詞が飛んでくる。
「だから南中出身は・・・」
僕はどうしてもそういうことに気が向かなくて、断ろうとはするものの、決まって拓郎が強引に引き止めて、何故僕を誘うかという持論を、展開する。
「淳はさ、こう、母性本能をくすぐるタイプだろ?俺らが声かける女の子なんて、大学生とか、大抵ちょっと年上なんだからさ、淳みたいのがいないと上手くいかないんだよ。」
いい迷惑だとは思いつつも、二人の屈託の無い明るさが好きで、なんだかんだ結局撲は、二人に着いて回っていた。
とにかく、二人といるのが好きだった。でもそれは、二人と一緒でありさえすれば、家に帰る必要がない、という別な思惑も孕んでいた。
母の震える背中を見て以来、僕は父とも母とも、顔を合わせる事が苦痛になっていた。父や母の姿を見るたびに、真夜中の食卓で震えていた、あの痛々しい母の背中が瞳の裏側に甦ってきて、僕を打ちのめした。
啓太と拓郎と一緒にいることで、できるだけ、家から遠ざかろうとしていたのだ。ある意味では、二人を利用していたのかもしれない。二人に対して後ろめたさを抱えつつ、その頃の僕は、どこか取り繕ったような笑顔を携えて、彼らの背中を追っていた。