4. Old Friend



 港に着く頃には、陽射しがこの季節には似つかないほどに強く、容赦なく、無防備な桟橋のコンクリートを照らしていた。
 眠気と、旅先に到着した高揚感とが綯い交ぜになった複雑な表情を浮かべ、乗客たちがその桟橋を渉って行く。彼らの足取りが心なしか軽く見えるのはきっと、眠気よりも高揚感が勝っている証拠なんだろう。
 僕は、その流れには乗れなかった。
 見えない何かが絡みついたように、足が重い。
 ここに及んで未だに僕は、心のどこかでこの島に戻ってくることに抵抗している。そんな自分自身が滑稽で、今更、と自嘲するような笑みが無意識に、浮かんだ。
 船着場に隣接するロータリーにでると、小さく二度、クランクションが鳴った。振り向くと車が一台止まっていて、その脇に立ち、運転席の窓から車に腕を突っ込んで笑っている、昔よくなじんだ顔が目に止まった。
 啓太だった。
 僕を迎えに来ると期待していた相手ではなく、啓太が、そこに立っていた。
 少し驚いて呆然としていると、啓太は車に突っ込んだ腕で、もう一度、クラクションを鳴らした。早くこっちにこいよ、と急かしているのだ。僕はそれに応えるように、足早に啓太に歩み寄った。
 「おう。」
 僕が傍に寄ると、啓太はそっけない言葉を投げてくる。そっけなくはあるが、その言葉の裏側に、照れを感じた。
 「ひさしぶり。」
 返した僕の声にも、同じような色が出る。久しぶりの再会が、少しくすぐったかった。気まずさとは違う、ぎこちない言葉と言葉。そのぎこちなさが逆に、心地よかった。
 アメリカで7年暮らしても、社交辞令的に、そして必要以上に大袈裟に感情を表すあの国の風潮に僕は、どこか馴染みきれないところがあった。旧友に再会して、この歯がゆい感じのやりとりがしっくりとくるのは、やっぱり僕がどうしようもなく、日本人だからなんだろう。
 「10年ぶり、だっけか。お前、変わらねえな、淳。」
 啓太の言葉に、そうなのかな、と僕は思う。自分では変わったとも、変わっていないとも言えない。どちらにも、実感がない。
 啓太は、変わった。間近で啓太の顔を見て、そう思う。浅黒く焼けた肌は昔からだったが、頬の辺りにあった余計な脂が削げ落ちて、昔より引き締まった感じがした。
 でも、素直にそんな事を口にはしない。
 「啓太は、ふけたよな。」
 言って、冷やかすように笑いながら、啓太の胸を小突く。
 「うるせえ。」
 少しふてくされて啓太も、小突き返す。そして苦笑を浮かべたまま顎を振って、車に乗れと促した。
 「拓郎は?」
 僕は助手席に乗り込むと、本当なら今日僕をここに迎えに来るはずだった、もう一人の旧友の名を口にした。
 「ああ、なんか今日から泊まる客のためにいろいろと準備があるってな。昨日の夜になって急にお前を迎えに行ってくれって、頼まれてよ。」
 啓太はあくび交じりに返して、「ま、俺も昼間は暇だし。」と付け加えた。その眠そうな表情で、漁の帰りに寄ってくれたのだと判った。
 「客って俺のこと?」
 僕が訊くと、まさか、と啓太は笑い声を上げる。
 「お前自分を客だと思ってるわけ?」
 「客じゃないのかよ。ちゃんと払うし、宿代。」
 「払ってももてなさねえぞ、きっと、あいつ。」
 「ひどいな、それ。」
 「昔から酷いヤツだったろ?拓郎はよ。」
 啓太はからからと乾いた声で、笑う。その無邪気で無防備な笑い方は変わってないな、と思って、少し安心して、僕も一緒になって笑った。ほんの一瞬だけれど、啓太と僕の間にあるはずの10年の空白が、まるで最初から無かったように感じられて、嬉しかった。
 「直接、拓郎のところ、で、いいんだよな。」
 唐突に真剣な顔になって、啓太が訊く。あまりにもがらりと表情を変えるから、僕は咄嗟に反応できず、ああともううともつかない曖昧な返事しか返せなかった。啓太はそれ以上、何も訊かず、無理矢理何かに納得するように小さく小刻みに頷くと、ゆっくりと車を発進させた。
 暗に、実家に帰らなくていいのかと言いたかったのだろう。ただ直接そう訊いてしまうには、ためらいがあるのだ。啓太にも。僕の父に対する思いを、啓太も知っていたから。
 不器用な啓太が、不器用なりに気を使っている。そう感じて、昔の、僕の知っている啓太なら絶対にないその反応に、僕は思わず吹き出すように笑ってしまった。
 「な、なんだよ、なんか変なこと言ったか?俺。」
 「やっぱり啓太は変わったなって、歳くったなって、思ってさ。」
 僕の言葉に、うるせえよ、と呟くように言って、啓太は口を尖らす。拗ねる感じは昔と変わりない。
 あからさまに変わってしまっている啓太と、変わらない啓太とが交互に出てきて、その矛盾が、不思議な感じだった。不思議で、なぜか、微笑ましかった。
 走る車の車窓から見える風景は、昔とはだいぶ変わってしまっていた。
 小奇麗になったというか、こじんまりと纏まってしまったというか、新興の観光地によくあるような、不自然に整然とした並木が、海岸線を走る街道に沿って並んでいた。それがどこかよそよそしく思えて、少し寂しかった。昔の、開けっぴろげな田舎の観光地という雰囲気が、懐かしく思えた。
 ふと、その景色の中に溶け込まない淡い赤が、目に止まる。
 彼女だった。
 フェリーの中で見かけた、あの彼女。
 肩に大きなバックをかけ、小振りなキャリーケースを引きずりながら、彼女は海沿いの歩道を歩いていた。
 思わず、目で追った。
 スピードに乗り始めた車は、ほんの一瞬で彼女を追い越す。その瞬間、彼女がこちらを見た気がした。目が合ったように思えた。が、きっと気のせいだろう。僕は再び、視線を前方へ戻す。
 「やっぱりお前も変わったな。このスケベ。」
 言われて振り向いた。啓太がハンドルを握り、前を見ながらにやついていた。
 「なんだよ、スケベって。」
 「今の女の子、見てたろ?昔はお前、嫌いだったじゃねえか、女の子に声かけるのとかよ。」
 「違うって。そんなんじゃないよ。」
 苦笑する僕を、啓太が横目でちらりと見る。
 「車、止めるか?」
 唇の片側を吊り上げて、意地の悪い笑みを浮かべる。僕はそんな啓太の本性を見抜く。
 「お前が声かけたいんだろ。」
 「あたり。」
 「まだそんな事やってんのかよ。」
 苦笑と共に、思わず溜め息が漏れた。
 啓太と拓郎と僕。
 3人でいた頃の毎日を、ふと、思い出した。


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