36. Voice



 自殺。
 不倫の末の子。
 実の父の死と、異母兄弟とを目の当たりにして、背負いきれなくなった現実から逃げるように、彼女は身を投げた。死んだ父にあてつけるように、死んだ父の住まう島で。
 安っぽいドラマのような、でたらめな筋書きを自ら並べ立てて、よくあることだと勝手に納得して、ほんの数日で警察の捜査は終わった。
 そう。でたらめだ。彼女は、彼女の選んだ選択肢は、そんなに薄っぺらくはない。
 否定したい気持ちはあった。でも、本当の彼女の想いを、生き方を、踏みにじられてしまいそうで、あえてその筋書きを僕は飲み込んだ。恐らく兄も同じ理由で、捜査の結果に頷いていた。
 彼女は逝った。
 生まれたときからずっと、そうなることが決まっていたとでも言うように、何の躊躇も無く、彼女は最期の願いを僕ら兄弟に託して、飛んだ。
 お前が彼女の背を押した。
 彼女の願いをすんなりと聞き入れた僕を、兄は責めた。僕も、それは認める。でも、聞き入れる以外、何が僕らにできたのだろう。その場を取り繕うだけの引き止めの言葉を、いくらあの時の彼女にぶつけても、結局彼女はこの結末を辿っただろう。そもそも彼女が、それこそ命を賭して、求めてきたものをかなぐり捨てた僕らに、彼女を引き止める権利などあったのだろうか。
 きっとそれは、彼女に対する侮辱だ。
 少し無理やりかもしれない。こじつけかもしれない。けれど、そうやって僕は、彼女の選び取った結果を飲み込んだ。そうやって、飲み込むほか、なかった。
 彼女が逝ってしまった一週間後、島を出るために港へ出た。見送るという母の申し出を断って、兄と二人で。
 「奥さんの誤解、とけそう?」
 道すがら、兄に訊ねた。
 「どうかな。でも、どうにかしなきゃな。」
 苦笑を漏らしながら、兄が答える。表情は苦々しかったが、まなざしは、しっかりと芯のある光を携えていた。
 「子供たちの為にも、そうしなきゃなんないんだろうな。血のつながりは、理屈を超えたところで、いい意味でも悪い意味でも強固で、ひたむきだ。人が人として狂ってしまわない限りは。それを、彼女に教えられた気がする。」
 「そうだね。」
 ひとりごちるように返して、僕は彼女を想う。
 彼女の死を、仰々しく美化するつもりはない。肯定するつもりも、否定するつもりも。ただただ、血の流れに勇敢に、哀れに、ひたむきだった彼女の存在を、僕はいつまでも胸の奥に繋ぎ止めておきたい。僕らの、妹の存在を。
 彼女のなきがらは、彼女の叔母の元へ送られたという。本土へ戻ったら、アメリカへと帰る前に、その叔母を訪ねるつもりだ。彼女の最期の願いを叶えるために。彼女の叔母は、そう簡単には彼女の遺骨を手渡すことはないだろう。それでも諦めるわけにはいかない。そう思い至って、まるで彼女がこの島を訪れた時と同じだなと、苦笑が漏れた。 
 船着場のロータリーへ出る手前で、ふと、美咲の土産物屋が目についた。
 結局あの日以降、警察の捜査につき合わされていた慌しさにかまけて、啓太にも拓郎にも美咲にも、そして優希にも、会えずにいた。
 でも、本当は違う。慌しいなんて、身勝手ないいわけだ。彼女が駆け抜けていったほんの数日のできごとに浸っていたかったから、彼らと会って、それまでの現実に引き戻されるのが嫌なだけだった。今なら、それがはっきりと判るし、認められる。認められるけれど、僕の歩みを止めるまでには至らなかった。
 臆病。
 道を隔てた向こうの美咲の店を通り過ぎたとき、唐突に彼女が僕に向けて言った言葉が脳裏に蘇った。何も言わずに島を去るつもりでいたのに、彼女に後ろ指をさされているような気分になった。不思議な感覚だった。見えない力に引かれるように、最後に、美咲だけにでも声をかけて行こうと、自分でも思いがけない欲求が湧き上がった。
 「兄さん、先行っててよ。」
 兄を促して踵を返し、美咲の店へ向かった。殆ど、無意識に。
 店には、美咲と美咲の母がいた。
 「あら、淳ちゃん、そういえば、帰ってきてたんだよねえ。」
 先に僕に気付いた美咲の母が、ゆったりとした口調でそう言った。昔と変わらない、おっとりとした笑顔を向けてくる。相変わらず娘の美咲とは正反対の、おだやかな雰囲気を背負っていた。肝心の娘は、店の奥で刺すようなまなざしを僕に向けていた。やはり、不自然なほどに正反対だ。
 「すみません、挨拶にこれなくて。」
 小さく会釈してそう言った途端、店の奥にいた美咲がつかつかと歩み寄り、僕の腕を掴むと、強引に店の外へ引っ張り出した。
 「お、おい、なんだよ・・・」
 軒先でようやく僕の手を離した美咲は、僕に背を向けたまま言った。
 「ちょっと、頼まれてくれる?」
 とても、何かを頼むような口調ではなかった。尖った、威嚇するような声だった。
 「頼むって、何?」
 「拓郎んとこで、小さな男の子に会ったでしょ?」
 「ああ、あの・・・。」
 あの日、拓郎の傍らに、拓郎に隠れるように身を寄せていた男の子を思い出した。
 「あの子、今、椿山公園で独りで遊んでるの。迎えにいってくれない?」
 この港から10分ほど歩いた公園だった。船がでるのは30分後で、往復でもぎりぎりの場所だ。ただ、何故僕がそんなことを頼まれなければならないのか、解せなかった。
 「いや、もう、フェリーの出る時間になるし・・・」
 「お願い。」
 断ろうとした僕の言葉を遮って、強い口調で美咲は言った。たかだか子供を迎えにいくだけのことにしては、不自然なほどに緊張感のある声色だった。
 「でも、兄貴が待ってるし、行かないと。」
 「お兄さんには私が話しておくから、お願い。行って。」
 僅かに、美咲の背が震えているように見えて、僕はその雰囲気にのまれるように、頷いてしまった。
 おずおずと踵を返すと、少し小走りにその公園へと向かった。
 得体の知れない感触が僕を押しとどめようとも、背を押そうともしているようで、胸が鈍く疼いた。


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