ニューヨークのアパートメントにかかってきた母からの電話で、父の死を知った。
自殺だった、ということも。
母は泣いていた。憚らず、受話器の向こうからきれぎれの嗚咽を漏らして。
この期に及んで何故あの男のために泣くのだと、誰に向けていいのか判らない憤りが僕の中で湧いた。
父に対して、と一瞬思ったが、やめた。
死んだ人間に何かを押し付けても、結局苦しむのは生き残った人間なのだから、と。父の所為でそうなってしまっては悔しすぎるし、癪にさわる。
そう。
僕は、父を憎んでいた。
だから父の死を知って、母と同じようにうろたえ、嘆き、悲しむことは出来なかった。
なら、どんな想いだったのかと訊かれても、それは、判らないけれど。
新鋭の画家。
そんな肩書きを背負って、僕が生まれる少し前、身重だった母と幼かった兄を連れて、父は僕の故郷となるこの島に移り住んだ。
住む、といってもそれは建前で、父が家に帰ることは滅多になかった。僕が生まれた日の朝も、本土の、東京のアトリエに引き篭もっていたという。
月に一度、見るか見ないかの父の顔。それよりも、父の手の方が、幼い頃の僕の記憶には鮮明に残っている。
幼心に、父の不在はやはり寂しかった。時折家に帰ってきても、大した会話も無く仕事部屋にもぐりこんでしまう父。でもその前に必ず、並べて立たせた兄と僕の頭を、ごつごつと骨ばった大きな手で少し乱暴に撫でた。小学校に上がっていた兄は露骨にそれを嫌がったが、僕は、少し痛くて少しくすぐったい、僕の髪の毛をかき回す父の手の感触が好きだった。
その頃は確かにまだ、僕は父を好きだったんだろう。父の手の硬さを、いつも感じていたいと思っていた。いつも感じていられないことに、寂しさと、虚しさと、ほんの少しの苛立ちを抱いていた。
小学校に上がって少しした頃にひとつ、気付いたことがあった。
母を見る時の艶の無い父の瞳と、それに反した母の、すがるような潤む瞳。言葉や態度には、すれ違う二人の瞳の違和感は現れなかったから、二人の間に何が起こっているのかなんて、まだ子供だった僕には判らなかった。
ただただ、漠然とした不安感が、薄黒い靄のような曖昧な形で、僕の胸の中をゆっくりと蠢いていた。その頃は、感触でしかなかった。それが僕の中を蠢くことでいい気分にはならなかったにしろ、僕の中だけで完結するただの異物感なのだと、自分に言い聞かせた。
でも、僕が中学に上がった頃、否応無く、逃げ回る余地すら与えずに、はっきりとした形になってそれは、僕を打ちのめした。