14. The Past – Oversea -



 「あの三人は、俺たちのことは知ってるの?」
 ビーチからの帰り道、別れ際に、僕は優希に尋ねた。優希はうつむき加減に、小さく「ごめんね」と返した。
 「サキちゃんだけにはって思って打ち明けたら、いつの間にか啓太君たちも知ってて。」
 言って、身の置き場に困ったように、優希は肩をすくめた。秘密がそこで留まらないところが、相変わらず美咲らしいなと、僕は肩を小さくゆすって、笑う。
 「いいよ、気にしなくて。なんかこういう事あいつらに黙ってると、あいつらを裏切ってるような気分になって、落ち着かないし。」
 僕の言葉に、優希は安堵したような溜息を漏らした。
 進んで話すようなことではない、とは思う。でも、あいつらは知っているべきなのだとも、どこかで、思っている。いや、本当は、少なくとも啓太と拓郎には、僕の口から伝えるべきだったのかもしれない。そしてきっとその行為は、容易ではなかっただろう。だから、優希が間接的にでも、二人に事実を伝えてくれたことに感謝して、感謝している自分を、情けなく思った。
 「そういえば、写真のほうは、どう?軌道に乗った?」
 思い出したように、優希に尋ねられた。少し躊躇した後で、僕は答える。
 「乗った、と言えば、乗ったかな。」
 優希はまるで自分のことのように、嬉しそうに「よかった」と呟いて、小さく、でも何度も頷き、その嬉しさを溢れさせるように大袈裟に手を振って、家路に着いた。
 嘘、ではかったと思う。けれど、胸を張って言えるかといえば、そんなことは無い。だからなのか、後ろめたさが、夜の闇の中に溶けるように消えていく優希の後姿を、引きとめようと胸の内側でざわついていた。
 ―――写真。
 僕が日本を飛び出した、トリガーはそこにあった。
 ようやく見つけることのできた、僕の新たな居場所。生きるための、目的、糧、支え。
 それを見つけたときに、告げられたのだ。僕の子を、優希が宿った。
 言い訳がましいかもしれない。
 でも、優希が身篭った子供のことを僕に告げる前から、僕は優希の元を去ろうと決めていた。優希と子供とを、置き去りする気は無かった。そんな、自分で自分を庇護する気持ちが、その頃はあった。それがどれ程に浅ましくて醜いのか、今は、判る。判っている、つもりだ。

 きっかけは、一枚の写真だった。
 優希と付き合い始めて、一年が過ぎた頃だったと思う。
 目的もなく、気まぐれに立ち寄った書店で、僕はそれを見つけた。
 名の通った、アメリカの経済誌の日本語版。ふと目に付いたその雑誌の表紙の写真に、僕はそれから後の人生を決められた、と言っても過言ではない。
 表紙の中央に大きく写し出されていたのは、子供だった。
 ヒスパニック系の、どことなく僕らアジア人と似通った輪郭の、幼い少年。背後には、くすむように立ち込める煙と、鉄骨をあらわにしたビルの残骸があった。ああ、ここは戦場なんだ、とリアリティを抱けぬままに、知らない世界のことを思った。
 少年は、モノクロの写真の中で笑っていた。
 確かに、笑っているのだ。でもその目の奥には、幸せも喜びも無かった。絶望からやけくそになったわけでも、憂いを哀れんでいる苦笑でもない、ように、僕には見えた。
 何も無い。少年の笑顔には、添えられるべき、笑う理由となるべき感情が、皆無だった。そんなふうに笑えるのは、絶望を超えた何かが、胸の中に巣食ってしまったからなのではないのかと、写真を見つめながら、思った。
 そしてその写真に添えられた言葉が、僕の直感は間違っていないと、確信させた。
 Who Broke?
 誰が、壊した?
 それだけで、十分だった。
 写真と言うものが持つ、否が応でも真実をつきつける残酷さを知った瞬間だった。その残酷さが、その頃の僕には、とてつもなく魅力的だった。
 写真は、真実だけを告げる。
 痛感した。
 ティム・キルシュスタイン。
 写真を撮ったその人物の名を、頭の中に深く刻み込んだ。

 それから半年、取り付かれたように英会話を勉強した。
 キルシュスタインのような写真を残したい。写真を学ぶなら、彼の元でないと駄目だ、と勝手に思い込んで、彼の住む国の言葉を、必死に頭の中に叩き込んだ。肝心の写真のことなど、その頃は何もわからなかった素人のくせに、それには全く振り向きもせずに、胸の奥のさらに隅っこにしまいこんで、まずは、彼の住む国の言葉を身につけることだけを目的に、夢中であがいた。彼の側に近寄るには、その交渉のための武器を、言葉を、備えておきたいと、そればかりを当時は気にかけていた。今でも、そんなアプローチの方法が正しかったのか間違っていたのかは、わからない。
 機は熟した、と思えるようになったのが、二十歳になったばかりの頃だった。馬車馬のように働いて、生活を切り詰めて、とりあえずは当面の留学費用も工面できた。優希と別れたのはその直後で、僕は逃げるように、アメリカへ渡った。
 何かの足がかりにはなるかもしれないと、留学を斡旋する旅行会社に紹介してもらった、ニューヨークにある写真学校には、失望した。
 生徒は全て日本人で、講師は、学生の頃にカメラを手にしていたと言うだけの、プロになり損ねたアマチュアに毛が生えた程度の写真家達だった。それも、日本人の。
 ニューヨークにある、というだけで、日本にある専門学校とその実態はなんら変わりはなかった。
 箔をつけたいだけなのだ。
 ニューヨークの写真学校を出た。それだけで、日本の写真学校をでるよりも優遇される、はず―――張りぼての経歴が現実にさらされた時にどんな末路をたどることになるのか、想像すらできない若者たち。僕はそんな群れの中に放り込まれた。
 危ない、と直感した。少しでも早くこの環境から遠のいておかなければ、何かが、壊れてしまう、と。
 履歴書レジュメを書いた。あえて、通っていた写真学校の名は伏せて。
 キルシュスタインの事務所がどこあるのかは、知っていた。無謀だと判っていて、彼の事務所にレジュメを持って飛び込んだ。そして、想像していた通りの、想像はしていたが、望んではいなかった待遇を受けた。
 受け付けてくれた若い白人の事務員は、レジュメを受け取ってはくれた。でも、殆ど門前払いに近い感じで、追い返された。経験も無い、言葉もまだ覚束ない異国の人間をそばに置くほど、キルシュスタインも気まぐれではないのだと、改めて現実を痛感させられた。
 3日後、僕の部屋の電話が鳴った。キルシュスタイン本人からだった。「少し気になったんだけど」と前置きして、驚きのあまり口ごもる僕に、彼は尋ねた。
 「君は、ゴウ・サカマキと関係があるのか?レジュメを見たんだ。君の出身がほら、日本の、彼の住んでいるところと同じだったから。君も、サカマキ、なんだよね?性は。」
 ゴウ・サカマキ―――坂巻豪。父の、名だった。
 「僕は、彼のビッグ・ファンなんだ。」
 そう言ったキルシュスタインの声は、どこか誇らしげに聞こえた。
 父は日本よりも海外で評価を得ていたから、キルシュスタインが父を知っていても、おかしくは無い。彼がファンであることも、また。その事実にしがみ付くように、僕は言った。
 「僕は彼の、息子です。」
 予想外に、さらりと、その言葉は僕の口から飛び出した。父を利用した、憎んでいた父の存在に、寄りかかった、ということに対しての抵抗は、自分が思っているほど、無かった。本当か?というキルシュスタインの感嘆した声が受話器越しに響いた時、少しだけ、鈍く胸が疼いただけだった。 
 形はどうあれ、僕の望む望まないはどうあれ、それが、キルシュスタインが僕を彼の事務所に招きいれた理由だった。
 父から離れ、開放されたと思っていた異国で、思いがけず父に、僕は救われた形になった。正直、悔しかった。だからといって、その現実に逆らうような強さもプライドも意地も、僕には無かった。


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